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端の地蔵とマルコ塚

【端の地蔵とマルコ塚】
 <><>マルコ塚 
 金毘羅参詣道・高松街道も旧滝宮村に入りますと、左の田圃の中に丸い塚が見えてきます。(右手前方に滝宮病院が見えます。)これはマルコ塚といい、滝宮両社(滝宮天満宮・瀧宮牛頭天王社=現滝宮神社)の別当職を務めた龍燈院住僧「空澄」の墓であると云い伝えています。

 <><>端の地蔵さん
 端とは、滝宮村の東端と云い、高松琴平間の最大の宿場町の入口でした。北から伸びて来る「香西・鬼無・国分寺・府中・猿王」方面からの金毘羅街道と合流する三差路になっています。
 この三つ辻を見守るように地蔵堂が建っています。「端の地蔵さん」と親しまれています。堂前には手洗鉢の台座になっていますが、享保四年(1719)の建立で、正面には「三界萬霊・右ふッ志やうざんミち・左たかま津、志ろみ祢」と刻まれた道標があります。右側面に「願主高松金毘羅月参講中」と刻まれています。これは高松家中の金毘羅へ月参りする講です。
 滝宮の名物はうどんで、幕末には十一軒のうどん屋があったと云う。また、『瀧宮村誌』には瀧宮名物のうどん有り、滝宮駅百餘軒中三十五戸の饂飩屋あり、「瀧屋」「水屋」「瀧の音屋」など相競ってうどんを製しあきなふ、維新巴前は阿波淡路紀伊の人通行の折りはいつも饂飩を名物として喫しざるものなしと出ています。

 滝宮天満宮は、菅原道真公の官舎の有った所だと云い、菅公が筑紫国で亡くなった後、生前、菅公と親交のあった龍燈院住僧空澄が天歴二年(948)に菅公の霊を慰めるため一社を建立したのにはじまると伝えられて来ました。後、代々の讃岐の国の有力者によって保護されてきました。
 文は、讃岐の街道・金毘羅参詣道&綾南町誌より抜粋しました。
 写真は2011年5月7日撮影
 場所は、ワイワイマップにスポット投稿します。

 マルコ塚




 マルコ塚の南の旧街道


 端の地蔵さん








 右仏生山道 左高松・白峰 の道標となっている。



ワイワイマップの見方
yahooトップページ→地図→ワイワイマップ→「道標」検索→《金毘羅参詣道map》を スクロールで選定する。
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コメント

No title

マルコ塚…
新約聖書のマルコによる福音書…
関係あると思ったのに。残念。

No title

マルコ=丸っこぃ(丸い)の意味ではないかと思われます。

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Author:honndokagawa2019
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