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王尾内記と権太夫の墓

【王尾内記と権太夫の墓】
 王尾内記と権太夫の墓は香川県満濃町の旧金毘羅参詣道・高松街道沿いに残っています。
 慶長年間、王尾市良太夫は大井八幡宮と金毘三十番神の兼帯社人であった。
 その長男を松太夫といった。寛文10年(1670)8月松太夫の子内記と松太夫の弟権太夫の両名は、金毘羅大権現の経営に関して金光院を相手として訴えを起こした。
 幕府の寺社奉行はこれを受理し、その旨を高松藩に伝えた。高松藩は金光院に対して訴人と和解することをすすめたが、金光院はこれの応じなかった。幕府は双方の出府を求め決断所において審判を行った。封建制下の常として内記と権太夫は敗訴となり、寛文11年(1671)11月11日、その一族は高松藩によって祓川の刑場で処刑された。
 その後、金光院においては不幸が相次で起こりこれを内記等の怨霊のたたりとし、約200年後文久3年(1863)11月処刑地の権太原に慰霊碑を建立して供養した。文は現地説明板より転載しました。
 金毘羅土産として売られていた白首(松太夫)と赤首(権太夫)の獄門人形の所縁の場所である。

 祓川(土器川)常夜燈
 祓川の手前に「寛政10年(1798)・當村講中・常夜燈」などの銘をもっています。その手前には「法界・文政12年(1829)・菅氏建立」の銘を持った舟型地蔵が立っています。
 祓川には幅二間半、長さ百九十間の木造の橋が架かっていたいいます(明治35年完成)。それ以前には板を石の上に渡した粗末な橋だったとの事です。
 昔は、金毘羅への参詣者がこの川で身の穢れを祓っていたところから名付けられたものでしょうか。
 文は讃岐の街道・金毘羅参詣道より参照しました。
 写真は2011年2月16日撮影
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。


 立石集落地標(金毘羅街道は此処より左に反れます。)


 王尾内記と権太夫の墓






 祓川常夜燈(此処より川に入ります。)






 現在の祓川橋



ワイワイマップの見方
yahooトップページ→地図→ワイワイマップ→「金毘羅灯籠」検索→《金毘羅街道・金毘羅灯籠map》を スクロールで選定する。
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コメント

No title

金光院はのんきですね。
怨霊の祟りに2世紀も放っておいたのですから。
身の穢れを祓うところが処刑場とは…
祓うという意味はこの世から祓うの意味では?

No title

高松藩と金光院との対立が元で天領地の目の前の祓川河原でわざと処刑したのかも知れません。

No title

ビュートさん、おはようございます

奥が深いと言うか悲しい出来事ですね。。。
内記と権太夫は敗訴となって、お辛かったかもしれませんが
別々ではなく!!お隣同士のお墓で居られた事だけは難を逃れたと思いたいです。 ☆

No title

NORIさん、それでも処刑から200年も経ってからですからね。
高松藩は審判では天領地の金光院が勝つのは初めから判っていたようですね。当時も権力者側が勝つのが常でしたから。

No title

ビュートさん、こんばんは
処刑から200年は遅すぎます
叔父が戦争で帰らぬ人となりましたが、祖母は、遺骨が見つからないから諦めがつかなかったみたいです。
悲惨な事はもういやですね。

今も昔も権力者が強いのは、ちっとも変わらないです・・・時代は変わってもインターネットや新幹線で便利な時代になったけれど、人の心は進歩しないのでしょうか・・・

No title

NORIさん、早くしなければいけないことが後回しになっていることが沢山ありますよね。
自国で悲惨なことがあったのに軍拡に走っている国もありますね。残念です。

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