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清原 太兵衛翁

賢人名:清原 太兵衛翁像
時 代:【1711~1787】
業 績:治水家・佐陀川を開削
建 立:清原太兵衛顕彰会 平成21年(2009)11月吉日
住 所:島根県松江市鹿島町名分
場 所:さいのかみ公園
マピオンマップ↓↓↓↓
https://www.mapion.co.jp/m2/35.50798965605181,133.0088621192795,19
マップコード↓↓↓↓↓
163 616 521*02
略 歴
 正徳元年(1721) 島根県法吉村の農家に生まれ
 天明七年(1788) 11月28日76歳死去
   
解説等
 宍道湖の出口は大橋川と天神川の二つしかなく斐伊川等の洪水のときには、宍道湖の水位は2m程あがることもあり、湖周辺に水害をもたらしている。この宍道湖の水を全長8kmに及ぶ佐陀川の開削によって日本海へ注ぎ、それまで沼地であった地域を水田に変え、さらに松江から恵曇港まで水運を開いた。
【】
資料等:Wikipedia、現地説明板など
撮影日:2018年6月3日
近隣施設:佐太神社
駐車場:無料
















身澄池由緒
 身澄池(みすみいけ)は、三角池とも称した。大字佐陀名分三角にある。この地方の人が忌明けの時に海辺で潮を汲み、ジンバ藻(ホンダワラ)を採ってこの池にお参りし、身を清めて佐太神社又は氏神社に参詣する禊の場所である。
 これは、佐太神社の祭神、伊弉諾尊が黄泉国から帰り禊を行ったという。故事に基ずくものであろう。昔は、もっと佐陀川の岸辺にあったようで、古老の伝によれば随分広い池で横四十七間・縦七十四間で神木があり、池中に大亀が棲み、凶作には姿を見せたと云い、土地の者がこの池を埋めようとした時、大亀が表れ、その人は亡くなった云われている。
 又、雲陽誌には、三角池 横二間縦四間あり、此池にて佐陀参詣の人身をきょむなり佐陀大明神鎮座より以来の池なりという。
 古歌に いざなぎやいざなみ池の鷲鴨は まこもの中にひとりこそすめ と詠まれている。
 寛政四年(1792)、不昧公、松平治郷(七代松江藩主)は、佐太社参詣のとき、此の池の埋もれようとしているのをご覧になり家老の大野舎人に命じ、碑を建てて後世に残せしめた。
  身澄池
 此の池佐陀神社に属せる古跡にして、社伝に阿らわす所、
 陽身を浄し給える由来を以って身澄池と唱ふと見えたり
 邦君舊跡の空しく埋れこむことを嘆かせ給ひ、石を建て
 後世残すべきよし命じ給ふ。
 みすみの文字、世々誤り傳て三角三隅の字を書。
 今や往昔の社伝にもとづき身澄池と識。
                  寛政四年仲春
 天明年間(1785~87)佐陀川の開鑿に至って移転縮小し、昭和八年の県道松江・恵雲線の工事により往昔の姿を偲ぶようすがもないが、来持石尺角一間の前記石碑により不昧公の心を後世に伝えんとしたものである。 
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