fc2ブログ

記事一覧

賀集八幡神社

神社名:賀集八幡神社
主祭神:誉田別命
創 祀:
住 所:兵庫県南あわじ市賀集八幡
電 話:
由 緒:貞観二年(860)御神託を受けた奈良大安寺の僧行教が京都石清水八幡宮の御分霊を奉じて淡路に来島。建立したというのが由緒ある神社であります。
 石清水八幡宮の社殿を模し、壮麗輪奐の美を整えた当八幡宮は往昔隆盛を極めておりました。(伽藍古園は護国寺にて保存)
 その後室町時代暦応三年(1340)阿讃の領主細川師氏、兵を率いてきたり、淡路国守、宇原兵衛永真の軍と戦い田中川の合戦で大勝、その際、当神社を祈願所として社殿造営、〇来、神馬、太刀、神田奉納が続けられました。
 江戸時代に下り寛永八年(1631)阿波藩主、蜂須賀忠英は当八幡宮崇め奉り、伽藍を改造、本殿、拝殿、摂末社に至るまで悉く再定、現在の諸建物はこの時のものであります。
 昭和十一年十二月、由緒正しきを以て県社に昇格し、古来皇室の崇敬も厚く、昭和五十四年十一月には浩宮徳仁親王殿下の御参拝を賜った。島内屈指の由緒ある大社として祭事絶ゆる事なく受け継がれ広く、八幡(やはた)の八幡(はちまん)さんとして親しまれ現在に至っております。
解 説
 御神徳 厄除
 細川師氏、淡路入国の際、当八幡宮に参拝、御幣を切り鏑矢を神前に奉じ、祈りしも厄年であったため特に懇ろに祈願したところ、その鏑矢が放され敵将永真に命中し勝利を収めました。
 そこで、師氏は当八幡宮を深く信仰し、細川家代々の祈願所としました。
 その由来を受けて当八幡宮は厄除の神として崇敬を集め、島内外より多くの厄除の参拝者を迎えております。
 また、五穀豊穣、交通安全、安産の御神徳あらんかなるものがあります。
 春例大祭が4月第2日曜日に行われる。あわじ花へんろ第36番札所(桜)
伝 説:
文化財等:本殿 三間社流造 寛永八年棟札あり 兵庫県指定重要文化財 拝殿 入母屋造 寛永八年 兵庫県指定重要文化財
近隣施設:護国寺(別当寺)八幡橋(境内)=近代土木遺産
資料等:現地説明板など
撮影日:2014年7月24日









石の欄干が見えているのが八幡橋=近代土木遺産2800選








境内社八坂神社


詳しい地図で見る
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

honndokagawa2019

Author:honndokagawa2019
FC2ブログへようこそ!

honndokagawa2019