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糸より姫伝説

【糸より姫像と高松西浜漁港】
 糸より姫像と高松西浜漁港
 糸より姫は、正和三年(1314)に御醍醐天皇の第二皇女としてお生まれになりました。
 南北朝争乱の渦中に巻き込まれ、悲しみのあまり延元三年(1338)従者と共に住みなれた都を後に讃岐の国玉藻の浦西浜に落ちのびこの地の漁師達にあたたかく迎えられたと伝えられています。
 糸より姫二十五才の時、漁師の乙吉青年と結ばれ一男六女をもうけられましたが、弘和二年(1382)波乱の多い六十八才の天寿を過ごされた霊地であると言われています。
 『日に日にに 網糸つぎむおぐるまの 糸より浜と名をのこすらむ』
 糸より姫の、み歌としてつたえられ、以来のこ浜辺を誰言うとなく「糸よりの浜」と呼ぶようになりました。また、糸より姫の御魂は現在瀬戸内町の金毘羅神社にまた、愛宕神社には天津神とたたえてご奉斎され、合祀されております。
 以上の文は現地説明板より転載しました。

 糸より姫の由来
 夫の漁網の修理をするための糸を脇で紡いでいたということから「糸より姫」となったようです。

 民話
 屋島の合戦に敗れた平家一門は、海へ山へと落ちていった。そして、海上で果かなく亡くなった者、四国の山深く逃がれて行った者、その末路は哀しい。戦の場で潔く果てた者にひきかえ、平家落人の話はすべて哀切きわまりない。まして、それが、平家女人の落人となると涙なくしては語れない。
 だが、こんな健気な話も残されていた。平家の姫は従者とともに小舟に乗って、波間をただよった。いくら波静かな瀬戸の海とはいえ、都育ちの姫にとっては闇にくれた海上がどんなに恐ろしかったことか。
 現在の高松市瀬戸内町、糸よりの浜(玉藻の浦)へ小舟はただよい着いた。夜明けの浜で、姫は涙を洗い流した。つい昨日までの栄華も夢なら、闇の海をただよった恐ろしさも夢のまた夢、姫は着物の裾もきりりと短めに、この浜で生きようと強く決心。
 従者がとってきた魚を、ハンボ(木の盥)に入れて(頭の上に乗せて)「おさかなどうええ。」と街へ売りに出た。とれとれの魚は生きがいい、いつのまにかイタダキさんと呼びならわして、人々は心待ちにするようになった。
 ハンボの頭上運搬の風習は変わったものの、現在も定まった町角で、イタダキさんは魚の荷を開く。イタダキさんという呼び名は、むかしのままに続いている。
 「春の魚がきたがな。」「はるいお、おごろうぜ。麦うらしに行ったんな。」イタダキさんとの会話はたのしい。「オコゼの味噌汁は腹ぐすり。」「ナマコは仙気ぐすり。」「鰆の尻尾は、門口に打ちつけておきまい。雷除けだといいまっせ。」イタダキさんは、とかく物知り。魚の調理方法は言うに及ばず、春の魚、冬の魚、四季折り折りの魚の顔をちゃんと覚えている。
 文は高松市歴史資料館HPより転載しました。
 写真は2012年6月25日撮影
 場所はワイワイマップ『銅像や記念碑のmap』にスポット投稿します。

 新田藤太郎作「糸より姫像」糸より姫神社境内にあります。








 高松西浜漁港










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コメント

No title

こんにちは

糸より姫のお顔立ちが優しそうで上品です^^

この高松西浜漁港で働く漁師さん達を温かく見守ってくれているかのようですね ☆^^

No title

NORIさん、どちらかといえば、現代的な顔立ちのようにも見えるのですが・・・。美人ですよね。

玉藻の浦にお城が出来た時、当時の藩主が城の東側に海運など業者を(東浜)西側に漁師たちを(西浜)集めたのが名前の由来だと聞いています。
イイね!ポチ、ありがとうございます。

No title

糸より姫の伝説、ありがたく頂きました。
後醍醐天皇の辺りの歴史は、神奈川県にたくさん残されています。
巡礼先で歴史をひも解くときに使用さセていただきます。

No title

pokoさん、この時代の逸話・伝説・民話などが多く残っていますよね。真偽のほどは判りませんが歴史上の悲話があるのですね。

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honndokagawa2019

Author:honndokagawa2019
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