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記事一覧

吉備路のシンボル五重塔

【吉備路のシンボル五重塔】 日照山・國分寺は、岡山県総社市にある、宗派は真言宗御室派 開基は聖武天皇(官立) 本尊は薬師如 境内は国の史跡に指定されている。 廃寺同様であった国分寺は、江戸時代中頃の享保二年(1717)になって備中清水山惣持院住職であった増鉄(ぞうてつ)和尚が当時の領主「蒔田(まいた)氏」などの援助を得て、旧国分寺寺域内に約六ヶ年を要して大部分の伽藍を整備し、ほぼ今日のような姿になったようであ...

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志度寺の五重塔

志度寺の五重塔 志度漁港市場よりの眺め2011年9月24日撮影...

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《水見やぐら》と《やかげ郷土美術館》

【《水見やぐら》と《やかげ郷土美術館》】 水見やぐらとやかげ郷土美術館は岡山県小田郡矢掛町矢掛にあります。 ==水見やぐら== 近世以来、矢掛は山陽道の宿場町として、また「小田川」を往来する高瀬舟の川港としても栄え、陸と川の交通の要衝、物資の集散地となりました。 街道筋に発達した矢掛の町家は低地にある為、本陣・石井家の裏門には「水楼」が、大庄屋・福武家には「物観(ものみ)」が設けられ、明治以降も水害を防ぐため...

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山陽道【矢掛宿】

【山陽道【矢掛宿】】 山陽道矢掛宿 矢掛が山陽道の宿場としてその名をみせるのは、室町時代になってからです。今川貞世が九州探題に任命されて、九州に赴任する際に記した「道ゆきふり」の中に「屋蔭」という里で一夜の宿をとったと記されている。一説によれば、貞世が宿泊した「屋蔭」は江戸時代の矢掛宿とは異なり、茶臼山西麓の「古市」だったと言われている。 その後、江戸時代初期に諸大名の参勤交代が制度化されると、矢掛におい...

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備中松山城

【備中松山城】 松山城(備中国) 通称「備中松山城」 松山城(まつやまじょう)は岡山県高梁市内山下「小松山の山頂」にあった連郭式山城である。別名、高梁城(たかはしじょう)とも云う。 秋葉重信が延応2年(7月16日改元)・仁治元年(1240)に築いた。複合式望楼型2重2階の天守閣を持ち改築を繰り返し現在に至っています。 江戸期の備中松山藩時代は山城で不便なため、山麓に御根小屋という御殿を構え、そこで藩主の起居・藩の政務...

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金毘羅参詣道「新町の鳥居」

【金毘羅参詣道「新町の鳥居」】 金毘羅参詣道高松街道も榎井村の興泉寺門前を過ぎると小さな川(現在は、JR土讃線の線路の下に有ります。)を渡ると金比羅社領の金刀比羅村になります。 少し行くと鳥居があります。ここからは、丸亀街道・高松街道が合流します。 新町と本町とを繋ぐ潮川(金倉川)に架かっていた鞘橋(浮橋)=(現在はお旅所近くに移築に出ます。)此の鞘橋の手前で、阿波街道とも合流し、潮川で最後の汗埃を拭ったと...

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Author:honndokagawa2019
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